未完成の言葉の欠片 / ※印は要注意orネタバレ / 二次はクリア後前提です
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2026.04.04 Saturday
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09/03/20
2009.03.20 Friday
カタカタと小刻みに陶器の触れる耳障りな音がする。己の右側、斜に視線を上げれば、二十歳前後だろう、使用人らしいエプロン姿の娘が震える手で紅茶のカップを支えていた。慣れていないのかそれとも緊張の所為か、見ていて危うさを感じさせる手つきだ。その皿がテーブルに乗る前に零されては堪らない、思わず自分から手を出してソーサーごと受け取ってしまう。上品なアンティークのカップの中で、鮮やかに赤く透き通った液体が小さく跳ねる。
はっ、と一瞬目を見開いた娘は、次に消え入りそうなか細い声で「申し訳ありません」と言った。伏せられた青磁色の瞳、フリルで縁取られた白いキャップから僅か零れる髪は鳶色をしていた。化粧っ気のない痩せぎすの面が映す血色は決してよいものとはいえず、美の範疇からは程遠いが、首筋の折れそうに華奢な様子が儚さを感じさせる。
「手を怪我しているの?」
言葉をかければ、彼女は青白い顔を更に蒼褪めさせて、ときゅっと握った拳を後ろに隠してしまう。その拍子に手首の金属片が揺れた。
(番号札?)
目を凝らそうとしたところで、それはひとつの声に遮られる。
「お優しいことですね、熾己殿下」
そう口にするのは対面に座す青年だった。彼は言いながら、緩く波打つ淡い金の髪が左目にかかるのを、鬱陶しそうに払う。
「それともお医者の性、というものですか? 怪我人や病人を前におとなしくしてはおれない、」
皮肉げに笑みを歪ませた口許。決して好意から発せられた言葉ではないのだ。
西領総督カーラマインが嫡子、ユストゥス。帝国皇家と東西南北四領の総督家は祖(かみ)を同じくし、最初の皇帝(シグルト)の血を受け継ぐ。他国でいう公の家柄であり、歴代皇女の最も多い降嫁先でもあったのだから、血族としては遠縁に当たるのだろう。だが、こうして対面してみたところでその実感はない。
強いていえば、面差しが僅かながら二人の兄に 年頃の所為か 似ている気がする。彼らの容姿はシュヴァイツァー伯爵家出身の前皇后(ははおや)譲りだというから、目の前の男にも同じく伯爵家の血が入っているのかもしれない。しかしうろ覚えの系譜を辿ったところで、自力では正解を見出すことはできなかった。世情に詳しいあの金髪の女医なら知っているかもしれないが。後で聞いてみよう、と思う。
彼の言葉を聞き流す振りをして、熾己はひとたびテーブルに置いた紅茶のカップをもう一度手にする。その明るく澄んだ色合いと芳醇な香気から、ローデシア属領バラト南東部産のジャーナ茶葉を使っているようだ。ローデシアといえば、朝の起き抜け(アーリー・ティー)から夜寝る前(ナイト・ティー)までまさに紅茶に始まり紅茶で終わるような国で、かの王国は良質な茶葉を独占するためだけに、その産地であるバラト一帯を支配下に治めたとまで言われている。かつてのヴァルファムも茶輸出入の主導権を握るために何度か侵攻を繰り返したようだが、結局権益の一部を開放させただけで獲得には至っていない。
ゆっくりとカップに口をつければ、温かみと独特の渋みを伴った味が広がる。ジャーナ茶葉はミルクティーに向いた品種だが、それなら好みの煮出し式で飲みたかった。
眼差しを感じてふと顔を上げる。前方の窓硝子、己の後ろに人影が映っていた。給仕の娘が未だ背後に立っているようだ。
「何をしている。早く退がれ」
彼が気付くのと時を同じくして声を発した主人(ユストゥス)の叱責に、娘は慌てて盆を抱えて一礼する。そして白いエプロンとロングスカートの裾を翻し、ドアの隙間から身を滑らせるようにして出ていった。静かに扉が閉まる。
熾己は緩やかに視線を戻す。
百年ほど前のエトルリアで栄えた前期サヴェリオ朝風の調度で揃えられている。装飾過多(デコラティヴ)で有名な意匠は、繊細で調和の取れたファルネーゼ様式に慣れた目には落ち着きのない内装と映る。
「今の彼女は?」
カップをソーサーの上に戻し、熾己は自分の手首を示して言う。番号札を身に着けるなぞ、普通の下働きではないだろう。もしくは目の前の男がよほどの悪趣味か、だ。
「収容所(KZ)に収監されている囚人ですよ。メイドの数が足りないので、奉仕活動をさせる代わりにここで使っているのです」
はっ、と一瞬目を見開いた娘は、次に消え入りそうなか細い声で「申し訳ありません」と言った。伏せられた青磁色の瞳、フリルで縁取られた白いキャップから僅か零れる髪は鳶色をしていた。化粧っ気のない痩せぎすの面が映す血色は決してよいものとはいえず、美の範疇からは程遠いが、首筋の折れそうに華奢な様子が儚さを感じさせる。
「手を怪我しているの?」
言葉をかければ、彼女は青白い顔を更に蒼褪めさせて、ときゅっと握った拳を後ろに隠してしまう。その拍子に手首の金属片が揺れた。
(番号札?)
目を凝らそうとしたところで、それはひとつの声に遮られる。
「お優しいことですね、熾己殿下」
そう口にするのは対面に座す青年だった。彼は言いながら、緩く波打つ淡い金の髪が左目にかかるのを、鬱陶しそうに払う。
「それともお医者の性、というものですか? 怪我人や病人を前におとなしくしてはおれない、」
皮肉げに笑みを歪ませた口許。決して好意から発せられた言葉ではないのだ。
西領総督カーラマインが嫡子、ユストゥス。帝国皇家と東西南北四領の総督家は祖(かみ)を同じくし、最初の皇帝(シグルト)の血を受け継ぐ。他国でいう公の家柄であり、歴代皇女の最も多い降嫁先でもあったのだから、血族としては遠縁に当たるのだろう。だが、こうして対面してみたところでその実感はない。
強いていえば、面差しが僅かながら二人の兄に
彼の言葉を聞き流す振りをして、熾己はひとたびテーブルに置いた紅茶のカップをもう一度手にする。その明るく澄んだ色合いと芳醇な香気から、ローデシア属領バラト南東部産のジャーナ茶葉を使っているようだ。ローデシアといえば、朝の起き抜け(アーリー・ティー)から夜寝る前(ナイト・ティー)までまさに紅茶に始まり紅茶で終わるような国で、かの王国は良質な茶葉を独占するためだけに、その産地であるバラト一帯を支配下に治めたとまで言われている。かつてのヴァルファムも茶輸出入の主導権を握るために何度か侵攻を繰り返したようだが、結局権益の一部を開放させただけで獲得には至っていない。
ゆっくりとカップに口をつければ、温かみと独特の渋みを伴った味が広がる。ジャーナ茶葉はミルクティーに向いた品種だが、それなら好みの煮出し式で飲みたかった。
眼差しを感じてふと顔を上げる。前方の窓硝子、己の後ろに人影が映っていた。給仕の娘が未だ背後に立っているようだ。
「何をしている。早く退がれ」
彼が気付くのと時を同じくして声を発した主人(ユストゥス)の叱責に、娘は慌てて盆を抱えて一礼する。そして白いエプロンとロングスカートの裾を翻し、ドアの隙間から身を滑らせるようにして出ていった。静かに扉が閉まる。
熾己は緩やかに視線を戻す。
百年ほど前のエトルリアで栄えた前期サヴェリオ朝風の調度で揃えられている。装飾過多(デコラティヴ)で有名な意匠は、繊細で調和の取れたファルネーゼ様式に慣れた目には落ち着きのない内装と映る。
「今の彼女は?」
カップをソーサーの上に戻し、熾己は自分の手首を示して言う。番号札を身に着けるなぞ、普通の下働きではないだろう。もしくは目の前の男がよほどの悪趣味か、だ。
「収容所(KZ)に収監されている囚人ですよ。メイドの数が足りないので、奉仕活動をさせる代わりにここで使っているのです」
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