未完成の言葉の欠片 / ※印は要注意orネタバレ / 二次はクリア後前提です
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2026.04.04 Saturday
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2010.12.11 Saturday
屋敷の主人の友人が運転手一人だけを随身に現れたのは、三月の晴れた日の、まだ陽も高い頃だった。
帝都城下、皇宮にも程近く位置する瀟洒な邸宅。シグルト帝時代の政策で土地に対する直截的な支配権を召し上げられた帝国貴族は、地方に独自の封土を持たず、そのほとんどが帝都に住まいを用意する。そのため、屋敷も各国の上流階級が所領に置くようなカントリー・ハウスよりやや小規模なのが通例だ。
前期ファルネーゼ様式の調和の取れた外観を有するその建築自体は、建国当初から存在する古いものだが、行き届いた手入れのお陰で経年を感じさせない。車宿りにつけて顔を出せば、十年以上の付き合いでもうすっかり慣れたのだろう、古馴染みの執事が突然の来訪にも面色一つ変えず出迎えてくれる。トップ・ハットと外套を預けながら彼は馴れた口調で言う。
「時間が少し空いたのでな。先触れもなしにすまない。ああ、これは妻(さい)が育てた花だ。何の手土産もなしでは恰好がつかんだろうと持たされた」
彼は供の者が携える花束を示す。視線の先では小振りな花々が、控えめながらも春告げたる己達を主張している。
「花粉は落としてあるし、香りの強いものは避けたというから、後であいつの部屋にでも飾ってやってくれ」
「かしこまりました」
「今日は私人としての見舞いだ。特に構わないでくれていい」
老執事に言い置いて、彼は勝手知ったる足取りで館の主の居室へ向かう。
母屋の南東角、車椅子で楽に外に出られるよう、階下に一室を設えた。広い庭に面した陽当たりのいい部屋。人払いされたのだろう、周囲には誰もおらず、静かだ。そっと扉を押し開いて中の様子を伺えば、部屋の主は寝台の上のようだった。眠っているのか横になっているだけなのか、この位置からではわからない。音を立てぬよう、そろりと室内に踏み込む。毛足の長い絨毯に柔らかく体が沈み込む。
窓硝子越しに芽吹き始めた若葉が映る。ここ数日続いた陽気のお陰で最後まで残っていた雪もすっかり溶け、新しい緑は例年より幾許か早い春の訪れを告げていた。
とはいえ、春先の風は病身の主人にはまだ堪えるのだろう。暖炉に爆ぜる橙色の炎が部屋の空気をゆったりと温ませている。
彼はベッドサイドに椅子をひとつ移動させて腰掛ける。
(またやつれたな)
仰向けられた蒼褪めた面に、そんな感慨を抱く。
半年ほど前、突如として友の躯を襲ったのは全身を侵す血液の疾患だった。倦怠感や発熱といった風邪様の症状に始まり、やがては免疫力が低下し感染症にかかりやすくなる。最初は単なる過労だろうと、発見が遅れた。たとえ早期発見ができていても、この病は化学療法が未完成の状態だ。現在も手探りの治療が進められている。投与される薬剤も強いもので、高熱に嘔吐といったその副作用で逆に瀕死に追い込まれたこともあった。
まだ幼い息子のことを慮ってか、それとも終わりなく続く投薬を苦にしてか、入院から自宅療養に切り替えて生まれ育った屋敷に戻り一月と少し。住み慣れた環境が彼にとってはよかったのだろう、急激に悪化することはなくなったにしても、病状は一進一退を繰り返している。自力で外に出ることができるほど調子のいい日もあれば、三日間ベッドの上に縛られることもある。
専門的なことはわからない。けれど病魔が確実に、まだ若い命を蝕んでいっていることは明らかだ。良方に向かう可能性はあれど(それでも万にひとつだ)完治することがないという病。現代の医学では不治に等しい。
息を詰めるようにひっそりとその傍らに付き添っていれば、ややあってベッドの上の男が微かに身動ぎした。ゆっくりと視線をこちらに向ける。そして一言、
「ご公務はよいのですか」
「他に言うことがあるだろう」
人の顔を見て、口を開くなりの第一声がそれか。彼は項垂れて答える。見舞いを嬉しがれと命じやしないが、もう少しくらい喜色を見せてくれてもいいではないか。生真面目というよりは、自分に対してだけやけに辛辣なのだ、少年時代から変わらずに。
「皇帝は友を見舞う暇(いとま)すら許されないものか?」
言えば、アルフレートは眉根を寄せて溜息をひとつ。
「私を口実にあなたが政務を疎かになさっていると言われる身にもなってください」
「そんなくだらんことを宣う奴がいるのなら早く俺に言え」
「陛下が病人を訪うのを、嫌がる者もいるでしょう」
「うつる病でもあるまい。それとも俺が来ては迷惑か? おまえが厭だと言うのなら控える」
「……エアハルト、このように頻繁に見舞っていただかずとも、急によくなるわけでも悪くなるわけでもありませんよ」
諭すような口調。穏やかなブラウンの双眸が自分を見る。
「それに、最近は気分がいいんです。薬が効いているのだと思います。寝ているのが逆につらいぐらいだ」
そう軽やかに言ってアルフレートは上体を起こした。彼をよく知らぬ者が見れば、実際に快方に向かっているものと騙されたかもしれない。
シーツの上に突かれた腕、半年前の姿からは見る影もなく痩せ細った手首が、寝衣の袖口に覗くのが痛々しい。子供のようだ、と思った。その視線に気付いたのか、アルフレートはさりげなく袖を引き伸ばす。
「おまえは本当に、息をするように嘘をつくなあ」
嘆息とともに吐き出せば、目の前の男は力ない微笑を見せただけだった。以前に同じ言葉をかけた際は「陛下ほどではありませんよ」としれっとした顔で返してきたというのに。
「横になっていろ。俺の前で無理をする必要はない」
「あなたは全てお見通しなのですね」
「わからない方が馬鹿だ」
言って、エアハルトはサイドテーブルに積まれた数点の書類を奥へと払いのける。騙されたと思しき馬鹿どもが持ち込んだのだろう。これではよくなるものもなりようがない。再度、枕に頭を乗せたアルフレートに向かって、彼は言う。
「今は療養に専念しろと言っただろう。おまえ一人が抜けたところで傾くような愚かな陣の組み方はしていないつもりだぞ」
僅かに気色を曇らせたアルフレートに、不便にはなるがな、と付け加える。一個人の才覚に恃まざるを得ないようでは国家は立ち行かないし、そもそも友人という立場に胡坐をかかせ本来与え得る権限以上に重用した覚えもない。内政外政を問わず、彼の代わりとなる有能な配下は幾らでもいるのだ。父皇の時代からの忠臣のみならず若い世代も育っている。ただ、打てば響く、をアルフレートほどには期待できないだけで。
側近の大半は古くからの貴族階級出身だ。哀しい哉、個人の打算も一族の利害も宮廷内での派閥も関係なく付き従えるということは、そうそうないと理解している。その意味では、オークスが変わり者なのだ。
「申し訳……」
「すまないと思う気持ちがあるなら、養生して少しでも早くよくなってくれた方が俺にとっては助かる」
詫びる言葉を遮るように言を被せれば、アルフレートは「はい」と小さく頷いた。謝罪が聞きたくて通っているわけではない。しかし、こうして訪問することが逆に彼にとっては重圧となることも、わかっている。
それでも、自分は不安なのだろう。両親と兄弟の半分は流行病であっさりと逝った。病床についてから一週間ともたなかった。長兄は無政府主義者の兇弾に斃れ、先后は長病みの末に若くして亡くなった。特に彼女には大層な不義理をしてしまった。多忙にかまけて、見舞いにも碌に訪れなかった。心の病が死に至ることなどないと高を括っていたのか、それとも恨み言を述べられるのが怖かったのか。今となっては取り返しなどつかず、後悔ばかりが拭いきれぬ澱のように降り積もっている。
そして今回。不治の病、という認識。自分を置いて死ぬわけがない、と思う。それと同時に、いつ最期を迎えてもおかしくない、とも。医師の宣告した期限はとうに過ぎている。あるいは、という期待と、恐れ。
思考を繕うように他愛もない会話を繋ぐ。その合間に舞い降りる静寂(しじま)に、暖炉に焼べられた薪のぱちぱちと爆ぜる音がいやに耳につく。
二十分ほどそうして話をしていただろうか。それまで明るかった窓の外に、不意に薄く影が落ちた。太陽が雲の背後に隠れてしまったのだろう。天候が悪くなるとは聞いていないが、俄雨にでも降られると厄介だ。
エアハルトは椅子から腰を上げ、フロックコートの裾を払う。
「そろそろ帝城(しろ)に戻るとしよう。長居をしておまえを疲れさせてもいけないしな」
そう口にして彼は寝台にもう一歩近付く。腕を伸ばし、子供に対する仕種のようにくしゃくしゃとアルフレートの髪を掻き回した。
稚気に呆れるばかりなのかアルフレートは無言でされるがままを通し、残念ながら少年時代のような反応はない。肩を竦めて手を引こうとしたその瞬間、
「どうせなら あなたのために死にたい」
掠れた声。骨の浮き出た細い指の何処にそれだけの力が残されていたというのだ、思いがけず強い力で掴まれた手首が軋む。その表情は掻き乱された前髪の陰となってよく窺えない。ただ捕らえられた箇所に触れる熱量が言葉以上の何かを訴えているようだった。
それくらいの我執で生きてみろ、口にしようとして、しかし言葉が音にならない。
供死にを選ぶなと、かつて自分は彼に命じた。当然のように主君のために冷酷に手を穢し、苛烈にも殉死を択ることをよしとするその関係性を変えたかった。それ以来、犠牲という選択肢を表面に出すことはなかったはずだ。今際に向かいゆくどれほどの覚悟が それとも諦念が 彼にその内心を吐露させたのか。
『羅針盤を失った船が、目的地までまっすぐに進めないのと同じだ』
雨の中、ぽつりと呟いた少年の言葉が想起される。
帝国の牙、皇統の影。盲信の如くただひとりの主に寄り添い、忠誠を尽くすもの。彼の一族は常に皇家の傍らにあり、清濁併せてこの国の深部を呑み込んできた。何が彼らをそうさせるのかを、エアハルトは理解できない。誰に教わったわけでもあるまいに、三百年続く血脈に刻み込まれた因果だとでもいうのか。
(まるで呪いだ)
初代皇帝(シグルト)と共に激動の時代を戦ったオークスの祖(かみ)は、道半ばにして無念にもその命を落とした。その悔恨を代償するかのように、連綿と続いてきた呪縛。取り去ろうとしても、できない。
彼は動きの自由になる範囲で、己が乱した淡茶色の額髪を拭った。
「……情熱的だな」
そうして軽口に紛らせる。(自分は卑怯だと、思う)手首を掴んでいた指先から徐々に力が抜ける。
こちらを見上げた目の前の友人は、泣き出しそうな、笑い顔のような、複雑な色を面に載せた。それも束の間、すぐに何事もなかったかのように穏やかな表情へと戻る。
エアハルトも同様に、努めて平然とした仕種で軽く片手を上げた。
「では、またな」
「お気を付けて」
「ああ、おまえも大事にしろ」
そう言い残して部屋を出た彼は、閉じた扉に背を預け、天井を見上げる。右腕を翳すように持ち上げれば、赤く形の残った手首がまだ痛い。掌で目許を覆い、エアハルトは自嘲じみた笑みを唇の端に浮かべた。いっそ自分が死を命じてやればよかったのかもしれない、と頭の何処かが意識している。自身の平穏を、優先した。
自裁をも厭わない彼らの執着と献身に、戦慄を覚える。それと同時に畏怖を。過去、それに応えられるだけの器を有した主がどれだけ存在しただろう。自分はそれに値する人物であれるだろうか。せめて賢君たらんとすることでしか、赤誠に報いる術はない。
緩く息を吐き、エアハルトは長い廊下を歩き出す。柔らかい足音が空気に拡散する。壁一枚隔てて感じるのはひっそりとした気配。名残を惜しむように一度立ち止まり、再び彼は歩を進めた。
帝都城下、皇宮にも程近く位置する瀟洒な邸宅。シグルト帝時代の政策で土地に対する直截的な支配権を召し上げられた帝国貴族は、地方に独自の封土を持たず、そのほとんどが帝都に住まいを用意する。そのため、屋敷も各国の上流階級が所領に置くようなカントリー・ハウスよりやや小規模なのが通例だ。
前期ファルネーゼ様式の調和の取れた外観を有するその建築自体は、建国当初から存在する古いものだが、行き届いた手入れのお陰で経年を感じさせない。車宿りにつけて顔を出せば、十年以上の付き合いでもうすっかり慣れたのだろう、古馴染みの執事が突然の来訪にも面色一つ変えず出迎えてくれる。トップ・ハットと外套を預けながら彼は馴れた口調で言う。
「時間が少し空いたのでな。先触れもなしにすまない。ああ、これは妻(さい)が育てた花だ。何の手土産もなしでは恰好がつかんだろうと持たされた」
彼は供の者が携える花束を示す。視線の先では小振りな花々が、控えめながらも春告げたる己達を主張している。
「花粉は落としてあるし、香りの強いものは避けたというから、後であいつの部屋にでも飾ってやってくれ」
「かしこまりました」
「今日は私人としての見舞いだ。特に構わないでくれていい」
老執事に言い置いて、彼は勝手知ったる足取りで館の主の居室へ向かう。
母屋の南東角、車椅子で楽に外に出られるよう、階下に一室を設えた。広い庭に面した陽当たりのいい部屋。人払いされたのだろう、周囲には誰もおらず、静かだ。そっと扉を押し開いて中の様子を伺えば、部屋の主は寝台の上のようだった。眠っているのか横になっているだけなのか、この位置からではわからない。音を立てぬよう、そろりと室内に踏み込む。毛足の長い絨毯に柔らかく体が沈み込む。
窓硝子越しに芽吹き始めた若葉が映る。ここ数日続いた陽気のお陰で最後まで残っていた雪もすっかり溶け、新しい緑は例年より幾許か早い春の訪れを告げていた。
とはいえ、春先の風は病身の主人にはまだ堪えるのだろう。暖炉に爆ぜる橙色の炎が部屋の空気をゆったりと温ませている。
彼はベッドサイドに椅子をひとつ移動させて腰掛ける。
(またやつれたな)
仰向けられた蒼褪めた面に、そんな感慨を抱く。
半年ほど前、突如として友の躯を襲ったのは全身を侵す血液の疾患だった。倦怠感や発熱といった風邪様の症状に始まり、やがては免疫力が低下し感染症にかかりやすくなる。最初は単なる過労だろうと、発見が遅れた。たとえ早期発見ができていても、この病は化学療法が未完成の状態だ。現在も手探りの治療が進められている。投与される薬剤も強いもので、高熱に嘔吐といったその副作用で逆に瀕死に追い込まれたこともあった。
まだ幼い息子のことを慮ってか、それとも終わりなく続く投薬を苦にしてか、入院から自宅療養に切り替えて生まれ育った屋敷に戻り一月と少し。住み慣れた環境が彼にとってはよかったのだろう、急激に悪化することはなくなったにしても、病状は一進一退を繰り返している。自力で外に出ることができるほど調子のいい日もあれば、三日間ベッドの上に縛られることもある。
専門的なことはわからない。けれど病魔が確実に、まだ若い命を蝕んでいっていることは明らかだ。良方に向かう可能性はあれど(それでも万にひとつだ)完治することがないという病。現代の医学では不治に等しい。
息を詰めるようにひっそりとその傍らに付き添っていれば、ややあってベッドの上の男が微かに身動ぎした。ゆっくりと視線をこちらに向ける。そして一言、
「ご公務はよいのですか」
「他に言うことがあるだろう」
人の顔を見て、口を開くなりの第一声がそれか。彼は項垂れて答える。見舞いを嬉しがれと命じやしないが、もう少しくらい喜色を見せてくれてもいいではないか。生真面目というよりは、自分に対してだけやけに辛辣なのだ、少年時代から変わらずに。
「皇帝は友を見舞う暇(いとま)すら許されないものか?」
言えば、アルフレートは眉根を寄せて溜息をひとつ。
「私を口実にあなたが政務を疎かになさっていると言われる身にもなってください」
「そんなくだらんことを宣う奴がいるのなら早く俺に言え」
「陛下が病人を訪うのを、嫌がる者もいるでしょう」
「うつる病でもあるまい。それとも俺が来ては迷惑か? おまえが厭だと言うのなら控える」
「……エアハルト、このように頻繁に見舞っていただかずとも、急によくなるわけでも悪くなるわけでもありませんよ」
諭すような口調。穏やかなブラウンの双眸が自分を見る。
「それに、最近は気分がいいんです。薬が効いているのだと思います。寝ているのが逆につらいぐらいだ」
そう軽やかに言ってアルフレートは上体を起こした。彼をよく知らぬ者が見れば、実際に快方に向かっているものと騙されたかもしれない。
シーツの上に突かれた腕、半年前の姿からは見る影もなく痩せ細った手首が、寝衣の袖口に覗くのが痛々しい。子供のようだ、と思った。その視線に気付いたのか、アルフレートはさりげなく袖を引き伸ばす。
「おまえは本当に、息をするように嘘をつくなあ」
嘆息とともに吐き出せば、目の前の男は力ない微笑を見せただけだった。以前に同じ言葉をかけた際は「陛下ほどではありませんよ」としれっとした顔で返してきたというのに。
「横になっていろ。俺の前で無理をする必要はない」
「あなたは全てお見通しなのですね」
「わからない方が馬鹿だ」
言って、エアハルトはサイドテーブルに積まれた数点の書類を奥へと払いのける。騙されたと思しき馬鹿どもが持ち込んだのだろう。これではよくなるものもなりようがない。再度、枕に頭を乗せたアルフレートに向かって、彼は言う。
「今は療養に専念しろと言っただろう。おまえ一人が抜けたところで傾くような愚かな陣の組み方はしていないつもりだぞ」
僅かに気色を曇らせたアルフレートに、不便にはなるがな、と付け加える。一個人の才覚に恃まざるを得ないようでは国家は立ち行かないし、そもそも友人という立場に胡坐をかかせ本来与え得る権限以上に重用した覚えもない。内政外政を問わず、彼の代わりとなる有能な配下は幾らでもいるのだ。父皇の時代からの忠臣のみならず若い世代も育っている。ただ、打てば響く、をアルフレートほどには期待できないだけで。
側近の大半は古くからの貴族階級出身だ。哀しい哉、個人の打算も一族の利害も宮廷内での派閥も関係なく付き従えるということは、そうそうないと理解している。その意味では、オークスが変わり者なのだ。
「申し訳……」
「すまないと思う気持ちがあるなら、養生して少しでも早くよくなってくれた方が俺にとっては助かる」
詫びる言葉を遮るように言を被せれば、アルフレートは「はい」と小さく頷いた。謝罪が聞きたくて通っているわけではない。しかし、こうして訪問することが逆に彼にとっては重圧となることも、わかっている。
それでも、自分は不安なのだろう。両親と兄弟の半分は流行病であっさりと逝った。病床についてから一週間ともたなかった。長兄は無政府主義者の兇弾に斃れ、先后は長病みの末に若くして亡くなった。特に彼女には大層な不義理をしてしまった。多忙にかまけて、見舞いにも碌に訪れなかった。心の病が死に至ることなどないと高を括っていたのか、それとも恨み言を述べられるのが怖かったのか。今となっては取り返しなどつかず、後悔ばかりが拭いきれぬ澱のように降り積もっている。
そして今回。不治の病、という認識。自分を置いて死ぬわけがない、と思う。それと同時に、いつ最期を迎えてもおかしくない、とも。医師の宣告した期限はとうに過ぎている。あるいは、という期待と、恐れ。
思考を繕うように他愛もない会話を繋ぐ。その合間に舞い降りる静寂(しじま)に、暖炉に焼べられた薪のぱちぱちと爆ぜる音がいやに耳につく。
二十分ほどそうして話をしていただろうか。それまで明るかった窓の外に、不意に薄く影が落ちた。太陽が雲の背後に隠れてしまったのだろう。天候が悪くなるとは聞いていないが、俄雨にでも降られると厄介だ。
エアハルトは椅子から腰を上げ、フロックコートの裾を払う。
「そろそろ帝城(しろ)に戻るとしよう。長居をしておまえを疲れさせてもいけないしな」
そう口にして彼は寝台にもう一歩近付く。腕を伸ばし、子供に対する仕種のようにくしゃくしゃとアルフレートの髪を掻き回した。
稚気に呆れるばかりなのかアルフレートは無言でされるがままを通し、残念ながら少年時代のような反応はない。肩を竦めて手を引こうとしたその瞬間、
「どうせなら
掠れた声。骨の浮き出た細い指の何処にそれだけの力が残されていたというのだ、思いがけず強い力で掴まれた手首が軋む。その表情は掻き乱された前髪の陰となってよく窺えない。ただ捕らえられた箇所に触れる熱量が言葉以上の何かを訴えているようだった。
それくらいの我執で生きてみろ、口にしようとして、しかし言葉が音にならない。
供死にを選ぶなと、かつて自分は彼に命じた。当然のように主君のために冷酷に手を穢し、苛烈にも殉死を択ることをよしとするその関係性を変えたかった。それ以来、犠牲という選択肢を表面に出すことはなかったはずだ。今際に向かいゆくどれほどの覚悟が
『羅針盤を失った船が、目的地までまっすぐに進めないのと同じだ』
雨の中、ぽつりと呟いた少年の言葉が想起される。
帝国の牙、皇統の影。盲信の如くただひとりの主に寄り添い、忠誠を尽くすもの。彼の一族は常に皇家の傍らにあり、清濁併せてこの国の深部を呑み込んできた。何が彼らをそうさせるのかを、エアハルトは理解できない。誰に教わったわけでもあるまいに、三百年続く血脈に刻み込まれた因果だとでもいうのか。
(まるで呪いだ)
初代皇帝(シグルト)と共に激動の時代を戦ったオークスの祖(かみ)は、道半ばにして無念にもその命を落とした。その悔恨を代償するかのように、連綿と続いてきた呪縛。取り去ろうとしても、できない。
彼は動きの自由になる範囲で、己が乱した淡茶色の額髪を拭った。
「……情熱的だな」
そうして軽口に紛らせる。(自分は卑怯だと、思う)手首を掴んでいた指先から徐々に力が抜ける。
こちらを見上げた目の前の友人は、泣き出しそうな、笑い顔のような、複雑な色を面に載せた。それも束の間、すぐに何事もなかったかのように穏やかな表情へと戻る。
エアハルトも同様に、努めて平然とした仕種で軽く片手を上げた。
「では、またな」
「お気を付けて」
「ああ、おまえも大事にしろ」
そう言い残して部屋を出た彼は、閉じた扉に背を預け、天井を見上げる。右腕を翳すように持ち上げれば、赤く形の残った手首がまだ痛い。掌で目許を覆い、エアハルトは自嘲じみた笑みを唇の端に浮かべた。いっそ自分が死を命じてやればよかったのかもしれない、と頭の何処かが意識している。自身の平穏を、優先した。
自裁をも厭わない彼らの執着と献身に、戦慄を覚える。それと同時に畏怖を。過去、それに応えられるだけの器を有した主がどれだけ存在しただろう。自分はそれに値する人物であれるだろうか。せめて賢君たらんとすることでしか、赤誠に報いる術はない。
緩く息を吐き、エアハルトは長い廊下を歩き出す。柔らかい足音が空気に拡散する。壁一枚隔てて感じるのはひっそりとした気配。名残を惜しむように一度立ち止まり、再び彼は歩を進めた。
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