[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「おっくむっらくーん!」
雑誌の頁をぺらりと捲る背後から、耳慣れた調子のいい声。振り返れば派手なピンク色の髪をした少年が片手を上げる。「志摩」反応すれば、彼は人懐こい笑顔を浮かべながら燐の手元を覗き込んできた。
「何読んでんの? ……やなくて、送り火見に行こうや。えーと、送り火、わかる?」
「大文字……焼き?」
「『焼き』はいらんて。お饅頭ちゃうんから」
手の甲をぱしっと燐の方へ向けながら、彼は隣にしゃがみ込む。
「ほら、奥村くん折角初めて京都来はったのに観光とか全然してへんやろ。お祭りも花火も大体終わってしもたし、せやからいっこくらい京都のイベント連れてったろーと思て」
「しえみとか出雲は?」
「既に玉砕しました……」
拳を目許に当ててわざとらしい男泣きの真似。女子は女子だけで別行動が既に決定していたらしい。ちゃっかり先に誘って(しかも断られて)いるところが志摩らしいというか何と言うか。(予想にたがわないやつだな)と思いつつ、わざわざ訊いてしまった自分にか、それともその返答にか、若干もやもやとした複雑な気分になるのを呑み込んだ。「あ、そ」と軽くあしらう。
確かに、夏休みに入ってから件の林間学校に懲戒尋問に京都遠征と続き、世の中の高校生らしいイベントを碌に経験していない。もちろん、それどころではない日々であったことは理解している。『それどころではない』事態を引き起こした原因の半分くらいは、自分自身であることも。 もしかしたら、遠因も含めれば……。
「奥村くん? 俺と行くんそんな考え込むほどいやなん?」
「違えし! 行く!」
そう反射的に答えたのが、少し前のこと。
交通規制でいつも以上に混雑するバスを途中で諦め、乗り継いだ私鉄の終点を降りれば、駅前には待ち合わせなのか大変な人だかりができていた。年配の夫婦に家族連れに、お祭り気分らしき浴衣姿の少女たち。柔らかな京都弁の物言いの合間に、観光客のものらしい標準語や他地方の方言が混じる。
見物客目当ての出店も多い。夜店さながらだ。馴染みの薄い屋台の喧騒に、少なからず心が躍る。
「可愛い女の子いたら声かけようやー」
「お前はちょっと煩悩燃やしてももらった方がいいだろ」
それが目的か。駅に置かれていたパンフレットを広げながら燐は言う。そこには『大の文字は人の形を表し、その七十五の煩悩を燃やし尽くすという意味を持つ』と説明が書かれていた。それを知っているのだろう、志摩は「うっ」と大袈裟に言葉に詰まり、肩を落とす仕種をする。
「しゃあないなー。なら、普通に行くわ……」
「ここで見るんじゃないのか?」
手にしたパンフレットには、駅近くの大橋の袂や川の中洲が見所スポットとして挙げられている。現に周囲は点火を待つ人でいっぱいだ。人いきれで、ただでさえ暑い京都の夏がより熱気を増して感じられるほど。
「奥村くんがこんな人の多いあっついところで見たいんやったら別にいいけど。いややろ?」
「いやだ」
「なら、ついてきて」
迷子にならんといてや、と志摩は念を押すように言って、勝手知ったるという様子で民家に挟まれた路地を抜けていく。まだ慣れない京都の街だ、一度はぐれれば帰れない気がするので、燐は見失わないようにその背中を追う。十分ほど歩けば次第に人の数もまばらになり、地元の人間らしき姿ばかりになっていった。
「あ、ちょお待って、食糧調達」
志摩が道すがらのコンビニを指差す。どうせなら屋台がよかったな、と思いつつ、ペットボトルのジュースや軽食を買い込む。
更に細い裏道を辿って着いた先は、建物の雰囲気からしてどうやら学校のようだ。人が通り抜けられるくらいの幅だけ、門が開いていた。ゲートの脇には学校名を冠したプレート。
「大学とかって書いてあるけど……」
燐が示せば、あっけらかんとした単純ないらえが返ってくる。
「ええねん」
「ええねんって、ばれねえの?」
「学生ですゆうてキリッとしとけばばれへんよ。もう奥村くんは心配性やなあ」
「そういうものなのか?」
志摩はそれ以上答えず、にっ、と笑っただけで門の向こう側へと体を滑らせる。きっと慣れたものなのだろう。燐もそれに続いた。
宵闇の落ちた構内は静かで、わさわさと葉を茂らせた街路樹がより濃い影を地面に投げかけている。人の姿は見えず、不気味と広く感じられる。街燈は門の近くにしかなく、道の両側に立つ校舎には所々明かりが灯っているだけだ。駅前のお祭り騒ぎはすっかり鳴りを潜め、静けさだけが漂っている。
「あれっ、いつもはもうちょい賑やかやねんけどなあ」
不思議そうに首を捻った志摩が、一番近い建物の入り口を覗いてみると、
「閉まってる……」
自動ドアには内側から一枚の張り紙がしてあった。『一斉休業日に付き終日閉鎖』の文字。白い紙に、無機質で無慈悲な特大の明朝体が並ぶ。前に立ってみても、扉は固く閉ざされたままでぴくりとも反応しない。
「去年まではこんなんなかったのに……」
「肝心なところで詰めが甘いよな、志摩って」
「そないなことゆわんといてーなー」
膝に手をついて、がくりと項垂れるポーズ。ひとしきりしょぼくれてから、彼は「よし」と両腕を伸ばす。
「閉鎖言う割に上の部屋電気点いてるし、誰かおるやろ。どっか開いてないかな」
言いながら裏口に回る。しかし、幾つかある別の入口もしっかりと鍵がかけられていた。ぐるりと建物の側面を一周し、仕方なくもう一度正面に回ったところで、学生らしき一人の青年がカードキーを通用口に差し込む場面に遭遇する。隣で小さくガッツポーズをするのがわかった。
「すいませーん! 一緒に入れてくださーい」
志摩が青年に手を振り気安く声をかける。
「僕ら、晩飯買いに行ったんやけど、カード持ってきてへんの忘れてて。助かりますー」
振り返った青年にさっき買ったばかりのコンビニのレジ袋を見せながら、彼は警戒心を抱かせない笑顔でしゃあしゃあと嘘を並べ立てた。よくもまあすらすらと言えるものだ、と半ば感心する。すると、カードキーを忘れるのはよくあることなのだろう、青年は特に疑問を抱いた様子もなく一緒に入らせてくれた。
建物の中に入ると、部屋の空調が漏れているのか廊下はひんやりと涼しい。外の暑さにすっかり慣れた体には尚更だ。
エレベーターで五階まで上がれば、打ち合わせスペースのようなところで大学の関係者らしき何人かが談笑していた。アルコールらしき瓶や缶が既に何本か空いている。床から天井の高さまである広い窓の向こう、山の方角が見える。
それを横目に見過ごして、更に階段を昇り屋上へ出た。
太陽が山の端に沈んで随分経つというのに、滞留した空気は何処か粘着質に皮膚に纏わりつくようだ。それでも時折、生温い外気を吹き払うように心地よい風が通り抜ける。
エアコンの効いた屋内で観賞しようとする者が多いのか、流石に屋上に人気はない。ダクトと排風機の間を抜けて、胸の下ほどの高さの外柵に近付く。周囲に高さのある建物はほとんどなく そういえば景観に配慮して色々制限されているのだと前に読んだガイドブックに書いてあった 遮るものが少ない所為か、市内の夜景がぐるりと一望できる。山を背にし遠くに小さく見えるのは、京都に着いた日に見たあのタワーだろうか。
携帯電話で時刻を確認しながら、志摩が言う。
「もーちょいで始まるから、待ってな」
「おう」
点火の始まる午後八時までまだ少し時間がある。柵の向こうに腕を垂らして凭れかかり、ペットボトルのソーダのキャップを捻りながら燐は答えた。口内で弾ける炭酸が冷ややかで気持ちいい。しばらくの間二人は無言で、明かりもなくシルエットだけの稜線を眺める。
「やっぱ杜山さんら誘った方がよかったかなあ」
唐突に志摩が沈黙を破った。
「なっ……んでそうなるんだよ」
「だって奥村くん喋ってくれへんし、俺かて女の子好きやもん」
「そーですか」
「せやけど」
素っ気なく返事をすれば、少しばかり距離を置いて並んでいたはずの志摩がすぐ傍にいた。あ、と思う間もなく、その顔が近付いて、触れる。
そして、硬直したまま動けないでいる燐に向かって、内緒事のように口にした。
「女子がおったらこういうこともできひんし?」
「……ばばば、ばっかじゃねえの!」
「馬鹿でーす」
*
「あっ、火付いた! すげえ、目の前じゃん!」
漆黒の夜闇に、橙色の焔がぼうっと浮かび上がる。かと思うと、瞬く間に光の数は増え、山の斜面に文字を模った。揺らめく炎の息吹がここまで届きそうな気がする。
「特等席やろ?」
歓声を上げた燐の傍ら、柵の上に両腕を乗せて体を凭れかからせた志摩が、顔だけをこちらに向けて言う。それに頷けば、嬉しそうに笑った。そして再び両の眼差しを送り火へと戻す。
その瞬間目にしたのは、先程までとはまるで違う、珍しく真面目な横顔。
何となく気まずい思いがして、燐は視線をそらし夏の夜空を焦がす火焔を見つめた。彼が宿した青い焔とは正反対の、あたたかみのある色彩。あれは死者を送る鎮魂の火なのだ。街の喧騒は最早遠く、ただ辺りには静寂の帳が下ろされ、眼前の光景は幻想的にも映る。十六年前のあの青い夜に灼かれた魂たち、そして己の所為で失った大事な人も、この鮮やかな焔に導かれて温かい場所に還ってほしいと、そう祈らずにはいられなかった。