未完成の言葉の欠片 / ※印は要注意orネタバレ / 二次はクリア後前提です
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2026.04.04 Saturday
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万華鏡(1)
2005.05.25 Wednesday
彼が生まれたのは東領(カルディナ)の南端、ベルトラムという名の海沿いの町だった。ちょうど皇帝夫妻に一人目の皇子が誕生し、国中がその祝いに賑わっていた年の秋のことである。
ベルトラムは南領(ミルザス)に隣接しており、田舎町ではあるが外洋に近く風光明媚な土地柄で知られている。帝国貴族の別荘地としても挙げられるほどだ。とはいえ夏の観光の時期だけ都会から人が訪れる、その他は多少の海産物しか名物のない寂れた小さな町だった。住民の多くは顔見知りで、彼らは夏場には貴族の邸宅で下働きとして仕え、それ以外の季節は畑を耕したり漁に出たりする。
ベルトラムは南領(ミルザス)に隣接しており、田舎町ではあるが外洋に近く風光明媚な土地柄で知られている。帝国貴族の別荘地としても挙げられるほどだ。とはいえ夏の観光の時期だけ都会から人が訪れる、その他は多少の海産物しか名物のない寂れた小さな町だった。住民の多くは顔見知りで、彼らは夏場には貴族の邸宅で下働きとして仕え、それ以外の季節は畑を耕したり漁に出たりする。
しかし彼はその場所を覚えていない。母親は彼が産声を上げてすぐに生まれ故郷を離れ、直轄領(アルメイア)の都市・リーズに身を移したからだ。ベルトラムとは打って変わってリーズ市は人間で溢れ返り、その密度と反比例するように人と人との関係は疎である街。彼の記憶はそこから始まる。
最初の名前はユージィン・フローエだった。物心ついた時から彼は母親と二人きりで、おそらく初めからそうだったのだろうと思う。
「ジィン」と母のイルマは彼のことを愛称で呼んだ。何処か少女のような幼い面差しを残した女性である。実際、彼を産んだ時にはイルマはまだ成人していなかったというから、その頃は随分若かった。フローエの姓は母のものだ。父親はない。彼女の口から父の話を聞くことは、ある機会が訪れるまで一度もなかった。
彼自身も父親のことは特に気にしていなかったので、(早くに死んだのだろう)という推測を時折思い浮かべたぐらいで、母さえ側にいればそれで十分だと思っていた。彼が生まれる前に起きた植民地の叛乱に、兵士として赴き戦死した父を持つ子供が当時多かったのも影響している。
カフェやレストランの給仕の仕事から帰ってきたイルマは、夕食後の数時間だけ彼の相手をしてくれるのだった。幼い彼を膝の上に乗せ、背中越しに抱きかかえて無邪気に言う。
「ご覧なさい、ジィン。きれいよ」
万華鏡(カレイドスコォプ)。
よく見かけるような細筒だけで構成されたものではなく、顕微鏡のような形をしていて、筒の先を光の方へ向けて覗き込む。横に付いた複数の歯車を回すと、中の様子がゆっくりと移り変わっていく。色とりどりの鮮やかなガラスビーズが星のようにちりばめられ、複雑な幾何学模様を描いている。
「あなたのひいおばあさんから貰ったものなの」
「母さんのおばあさん?」
「そう。ジィンは一度も会ったことがないわね。でも、あなたが生まれてくるのをとても喜んで祝って、名前を考えてくれたのよ。結局、生まれてきたあなたを見ることはなかったけど……」
懐かしそうな眼差しで、きれいに装飾された筒の部分を撫でながら言う。身ひとつの覚悟で故郷を出た母が、唯一携えてきたものだ。祖母の形見だというそれを、彼女はとても大事にしていた。
つつましい暮らしではあったが倖せだった。十(とお)の年に一度姓が変わるまでは。
最初の名前はユージィン・フローエだった。物心ついた時から彼は母親と二人きりで、おそらく初めからそうだったのだろうと思う。
「ジィン」と母のイルマは彼のことを愛称で呼んだ。何処か少女のような幼い面差しを残した女性である。実際、彼を産んだ時にはイルマはまだ成人していなかったというから、その頃は随分若かった。フローエの姓は母のものだ。父親はない。彼女の口から父の話を聞くことは、ある機会が訪れるまで一度もなかった。
彼自身も父親のことは特に気にしていなかったので、(早くに死んだのだろう)という推測を時折思い浮かべたぐらいで、母さえ側にいればそれで十分だと思っていた。彼が生まれる前に起きた植民地の叛乱に、兵士として赴き戦死した父を持つ子供が当時多かったのも影響している。
カフェやレストランの給仕の仕事から帰ってきたイルマは、夕食後の数時間だけ彼の相手をしてくれるのだった。幼い彼を膝の上に乗せ、背中越しに抱きかかえて無邪気に言う。
「ご覧なさい、ジィン。きれいよ」
万華鏡(カレイドスコォプ)。
よく見かけるような細筒だけで構成されたものではなく、顕微鏡のような形をしていて、筒の先を光の方へ向けて覗き込む。横に付いた複数の歯車を回すと、中の様子がゆっくりと移り変わっていく。色とりどりの鮮やかなガラスビーズが星のようにちりばめられ、複雑な幾何学模様を描いている。
「あなたのひいおばあさんから貰ったものなの」
「母さんのおばあさん?」
「そう。ジィンは一度も会ったことがないわね。でも、あなたが生まれてくるのをとても喜んで祝って、名前を考えてくれたのよ。結局、生まれてきたあなたを見ることはなかったけど……」
懐かしそうな眼差しで、きれいに装飾された筒の部分を撫でながら言う。身ひとつの覚悟で故郷を出た母が、唯一携えてきたものだ。祖母の形見だというそれを、彼女はとても大事にしていた。
つつましい暮らしではあったが倖せだった。十(とお)の年に一度姓が変わるまでは。
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